崔州平の父

ボチボチ再開します。

何となく気になったのでメモ。

諸葛亮の数少ない友人(笑)として、『三国志』蜀書・諸葛亮伝には崔州平が登場します。諸葛亮伝の本文では、博陵の出身であることしか判りませんが、その裴註には、

按崔氏譜。州平。太尉烈子。均之弟也。

とあり、崔州平の父親が崔烈なる人物で、三公である太尉を務めていたことが判ります。
魏書・武帝紀裴註所引『続漢書』に拠れば、この崔烈は曹操の父、曹嵩の前の太尉であったことが判って興味深いのですが、さらに興味深いのが魏書・董卓伝裴註が引く『傅子』。

靈帝時牓門賣官。於是太尉段熲・司徒崔烈・太尉樊陵・司空張溫之徒。皆入錢上千萬下五百萬以買三公。熲數征伐有大功。烈有北州重名。溫有傑才。陵能偶時。皆一時顯士。猶以貨取位。而況于劉囂・唐珍・張邕之黨乎。

崔烈が五百萬から千萬という大金で三公の位を買ったことが判ります(まァ、政治的手腕はあったようですが)。つまり、曹操の父である曹嵩なんかと同じですな。というか、崔烈の前の太尉が張温、崔烈の後の太尉が曹嵩なので、この時期の太尉はみんな位をカネで買った人間ばかりということに……

さて、もう一つ興味深いこと。
三国志』において、崔烈の名は、魏書の武帝紀(1例)および董卓伝(3例)、蜀書・諸葛亮伝(1例)確認できますが、いずれも裴註であり、陳寿の本文には一度も出てきません。つまり、陳寿の本文だけ見てると、崔州平というのは、出自のよく判らない人物になってしまいます(諸葛亮伝の他には、蜀書・董和伝中に記される諸葛亮の述懐で名が見えるのみ)。となると、陳寿としては、諸葛亮を認めていた崔州平の父が位をカネで買ったことに触れたくなかったのかな、という邪推もできそうです。