「2点しんにゅう」ねぇ

今朝の朝日朝刊(大阪14版、33面)に「2点しんにゅうの攻防」という記事があった。いわゆる新常用漢字に含まれる豫定の「謎」「遜」「遡」についてのしんにゅうの点について、1点にすべきか2点にすべきかという議論を中心にまとめたもの。
ネット上を検索すると字体表そのものは12月に策定されている模様http://sankei.jp.msn.com/life/education/081216/edc0812162142005-n1.htm
個人的には1点にも2点にも長所短所はあるわけで、漢字小委員会とやらの思想に基づいて決めることだとは思うのだが、新聞報道などでスッポリ抜け落ちている問題点を一つ指摘しておきたい。
それは、現状のJIS字体では「謎」「遜」「遡」も「1点しんにゅう」になっているということ。これは漢字1字が16×16ドットなんて粗いドットで構成されていたころからの名残ではあるけれど、今現在も変わっていない。
常用漢字を「2点しんにゅう」にするならこのあたりも当然改めなければならない、まあネットやPC上の話なら10年もしてハードが置き換われば大丈夫だろうが、ワープロ原稿をオフセット印刷した書籍なんかは改めようがない。やれやれ、悩ましいねぇ。

『三国演義』という名称

更新滞ってます……

さて、以前本院で南飛烏鵲楼 『三国志演義』と『三国演義』てな記事を書き散らしたことがありまして、それに関連して面白い言及を見つけたのでメモ。

 3は、小説『三国志演義』の書名の変遷について考察した刺激的な論考である。〔陳翔華〕氏は明清の諸版本や筆記、蔵書家の目録などを調べ、明代の諸本で用いられている書名を、(1)「『三国志』+伝」、(2)「『三国志』+(通俗)演義」、(3)「(通俗)演義+『三国志』+(史)伝」という複合式名称、(4)「『三国志』」という簡略名称の4パターンに分類し、明代では僅かに楊美生本の封面に「三国演義」という文字が見えるだけであることを明らかにする。そしてここから「羅貫中」の原著は「三国志伝」あるいは「三国志(通俗)演義」であった筈であり、現在この小説を指すのに中国で一般的に用いられている「三国演義」は不適切で、「三国志演義」と呼ぶようにすべきだと提案する。では、どうして「三国演義」という呼び名が広く用いられるようになったのかという疑問が当然浮かぶが、その点については残念ながら氏の筆は及んでいない。しかしながら、ある明清の随筆では「三国演義」という呼び方が用いられており、例えば清の人、劉廷璣が著した『在園雑誌』では陳寿の歴史書を指す場合には「三国志」、羅貫中の小説を指す場合には「三国演義」と明らかな使い分けが見られ、小説が「三国志」という歴史書の名前を用いることを非難している口吻から、劉廷璣があえて「三国演義」と呼ぶことで小説を貶めていた可能性を氏は示唆している。文人たちの小説軽視の姿勢がこの「三国演義」という呼び方を生み出し、結果的にそれが世に広まったのだとしたら、現在用いられている「三国演義」という名称をこれからも無自覚的に用いることには些か躊躇せざるを得ない。(上田望「【書評】陳翔華『三国志演義縦論』」、pp.45-46、『中国古典小説研究』第13号、2008年12月)

正史を教典視する立場からは、寧ろ積極的に「三国演義」と呼ぶべきだと言われ兼ねないが(苦笑)。